マダム晶子が行う鑑定は、東洋全般の占術を活用して、あなたの人生をより有意義に幸せに導くようにアドバイスしております。人生の バイオリズムを知り、幸運を引き寄せましょう!


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お知らせ

Information

気学を中心に、日々の活動や運勢の展望など、色々な事を載せています✨


 

「2024年気学運勢暦」 価格¥1.000 送料別

2024年の展望・九性気学とは・政治、経済、災害など七福神・一白水性から九紫火性迄の運勢・手相・他皆様の運勢の導きになる様な内容となっております。ご希望の方は、マダム晶子開運塾までご連絡ください。今年も皆様にとって幸せな一年になりますように。

マダム晶子の呟き

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2024年  元旦

 
2024年明けましておめでとうございます
 
昨年も「マダム晶子開運塾」のHPをご覧頂きましてありがとうございました。2024年度は、時代の波に飲み込まれない様に、日々一人一人が自覚して行く年となります。健康第一で、御身体を労り、元気良く過ごして参りましょう。皆様にとりまして、素晴らしい年になります様にお祈り申し上げます。今年もご支援を頂けます様にどうぞよろしくお願い致します。
 
2024年度運勢の詳しくは、「気学運勢暦」に述べておりますので、是非ご活用ください。
 *新年は1月5日より営業いたします。
 

2023年 11月23日

「2024年気学運勢暦の内容の一部です」
 

2023年 11月17日

「2024年気学運勢暦の内容の一部です」
 

2023年 11月8日

「2024年気学運勢暦の内容の一部です」
 

2023年 元旦

2023年開けましておめでとう御座います。
 
昨年は皆様にHPマダム晶子開運塾の部屋をおたずね下さいまして有り難うございました。2023年度の幕開けは新しい枠組みのスタートが切れる1年になります。様々な変革が起こりますが、どんな時でも多少であっても前進して参りたいものです。本年もどうぞ宜しくご支援を頂けますように御願いいたします。
 

 
ホームページでも表示をしておりますが、(気学運勢暦)で詳しく述べておりますのでどうぞ一冊を常備用としてご活用下さるように御願いいたします。
2023年皆様は素晴らしい年をお過ごしになりますように祈っております。
新年は1月10日~11時より営業します。

2022年 元旦

新年あけましておめでとうございます。🎍


昨年中はお世話になりました。鑑定士一同お礼申し上げます。
本年も昨年同様宜しくお願い申し上げます。
 

 
新年は5日から営業致しております。
気学、アロハカード、手相、その他鑑定、イベント依頼など、
お気軽にお問合せ下さい。
 

 

2022年2月12日

雪の2月節

 
 
今年は新年早々から凄く寒い。
雪も思わせぶりに降るかと思いきや、予想を裏切らない振り方である。
東京の暮らしは慣れていない雪のために、報道はもちろんであるが守りの体制が敷かれて行く。

先日この寒空で友人から2組もオミクロン株に感染した。
凄い感染力だと電話を貰う。しかし症状は風邪の様で、7日間はお店を閉めて自宅療養でゴロゴロしていたと言っていた。
コロナで何度もお店を閉めざるを得なくて、先行きが危ぶまれてこの先の事を考えると不安だという。
片方は家族4人が感染したために夫婦共々お籠もりで仕事に行けずに、子供は学校にも行けずに外出も出来ず大変な思いをしたと嘆く。

この先、政府やマスコミはまだまだコロナは変異を続けて油断ならないと発信して続けて居る。世界中で戦争の危機を伝えながら、この世を生きる人間はその想定の中に入っているのですか?
子供も年寄りも、若者達も、労働者や母親である女性達もみんな揃って我慢の限界のような気がする。

人の精神も心の持ちようも暮らしも総てが神経的に弱ってきていて、私達誰一人の例外もなく心のバランスを崩し始めてきたような気がして成らない。と、感じているのは私一人だろうか? 
 


 

2022年2月23日

スロースタイル

 
暑さ寒さも彼岸までとよく言われているが、梅の花がチラホラ咲き始めた。もうすぐ2月も終わりだ。
 
今年の1月2月は例年には感じない程、骨身に沁みる寒さが続いた。
部屋の中にいても寒いので外へお茶のみでも行きたいと思うけれど蔓延防止で外出もままならず家にいる事が続いた。それでも何故か一日があっという間に過ぎて行く。兎に角忙しいのである。特別何をするでもないのに。

そして、ふと思うと・・・
頭に中も、身体も、行動半径も、総てがスローダウンしているのである。何かを一気に出来なくなっているのである。
もう少し前まではフル回転で動いて忙しかったのがその半分も動いてないのに何故に忙しい?なんて思っていると、その理由が分かった気がする。
しかもやる事する事がやけに丁寧に成り、一つ一つの作業が愛おしくなり、惜しくなり、又もったいないと思う様に成り、大事に、大事に心を込め始めて居るのである。
スローで生きるってこういう事なのかと気付く。
朝はゆっくり白湯をのみ、ゆったりと身支度して、のんびり何処へ行くかを決めて、まるでソロリ、ソロリと出かけるのである。
 
そんな訳で時間が無くなり何もしていないのに忙しく感じている。スローに生きて、スローライフなんてこんなことを指して居るのかも知れない。
 
 


 

2022年 4月18日

懐かしい人達をを思いを馳せて

 
♪花が咲いてもさみしくて、花が散ったらなおさみしい♪こんな唄が流行っていた頃は、なんて悲しい唄だとおもった。
理解できないほどの若い頃だ。桜の花にはひときわ思い出があり、色々の雑誌やエッセイ等に(桜)の題材で散文を良く寄稿した。
 
桜の花は、詩を書くにも唄うのにも、必ず相手が居る。そばに居なくても心の中に誰かが必ずいる。先の唄も恋の終わりの後の、思い人を思うから♪になっているのだろう。
 
近年は花が咲いても、もうドキドキする感情も消えてしまい、方々の花を眺める風情も消えた。花の散り際の花吹雪が大好きだったが、数年はその舞い姿さえ見ていない。コロナの性も加わっているのだが、感性までが消えて行くようで・・・・
 
コロナが終息したら、そしてまだ旅が出来るなら、同行者を伴って桜の花では無くて、イタリアのアーモンドの花を見に行きたいと夢見ている。
執事のような、気心の知れた仲間のような、人達や、動きの鈍い私の手足となってくれる同行者を探さなくてはと思いながら旅の空のアーモンドの花を思い描いているのだ。。
そして、時々花が咲いてもさみしくて♪と口ずさんでいる。・♪♪♪
見事に咲いた花も終わり、葉桜にかわりつつ有るこの頃だ。
 
ブルースやカンツオーネなどは、年輪を重ねてこそ歌える筈だが、人生が出てくる様な本当の唄も効きたいが果たしてそんな味のある唄を唄える歌手は・・・
 


 
 

2022年 6月 7日

6月の展望

 
国家も、グローバルの世界も私達の暮らす社会も、全てが騒々しく展開して行く時です。今月のキーワードは(芒種・夏至)です。
芒種には穂の出る植物を植える時と有ります。穂の出る植物と言うと稲などがありますが、それらも含めて穀物類、極めて麦では?と小生は思っている。
小麦他大麦、そばや、ヒエやゴマなども含む、兎に角穂の出る植物だ。稲は特別な存在だったのかもわからない。
では、夏至は夏来たる、そのものを指すでしょう。入梅に入りながらそしてイヨイヨ夏本番が、後半から形成されるはずである。
 
七赤中宮の時です。
1:衣替えや植物を植える
2:防虫剤や肌荒れなどの夏用の準備
3:果実酒や梅を漬ける
4:発酵食品や酢の物を使った食品を準備する
5:家族一家団欒のとき
6:レジャーや旅行に心が動く
7:飲食業界が動く
8:一気に人の気が動き消費の値上がりが激しくなる
9:金融がにわかに騒々しくなる、株価が上がり始める
10:営業利益がアップする。
 
数えればキリがないのだが、お金の動きが活発化してゆく中で水面下では何らかの展開が行われていく。財務省は国家にはもう金が無いと言いつつ、諸外国へのばらまきはどうなんだろうか?此れもグローバルな世界観がそろって変化をするための座組作りだ。
さしずめ、私達一般大衆は早く、マスクの要らない暮らしを求め早くコロナの修復を願うばかりで有る。
 
これから迎える梅雨にそなえ、腸を大事に考えながら、欲張らず、身の丈に合う、そして自分のやるべき事をしっかりやりながら元気よく生きることが一番である。
 
どこを見ているの?と聞かれること無く、何時もいつでも油断しないで暮らしたいものだ。
 


 
 

2022年12月26日

年の瀬を迎えながら


あっという間に師走。もうすぐ新年を迎える準備でせわしなくなってくる。
自分の常念故か?はたまた其れは生まれながらの運気のなせるところなのか?
いつの年も慌ただしくて気が落ち着かない。
今年はもう仕事もセーブしたから通年のように気ぜわしさは無いと高をくくっていたのだが。年輪の性も有るのかも知れない。仕事量が少ないのだから時間も有るはずなのに、ペースダウンして一日に出来る量が少ないのである。 (気学運勢暦)たった一人で書いているので此れが一番時間を割かれる。 もうやめれば良いのに、(おせち料理)も一応形を作る。神様へのお餅飾りやお花やら。


部屋の掃除、新年の配り物等など数えればきりが無い。
年々お付き合いの幅も少なくなり、小さな小さな飾りやしつらいなのだが、昔気質でやらないと歳神様が我が家には来てくれない様な気がするのである。
また、気持ちもすっきりしないのである。貧しかった時代も若い頃も、入院して正月だけ退院して過ごしたどの年の瀬も思い返すとやはりせわしなかったなあ。
今年は少しの合間に数が減った年賀状を書いているのです。
 
 
 

 
 


 
 

2021年12月22日

美晶先生のこと 

 
 
彼女は私の所でお勉強をして20年が過ぎた。週一回か2回程度 私が大怪我をしてから来てくれるようになった。最初は良くなるまでのボランティアの積りだったのかも知れないが、気心が通じてすっかり娘のような妹のような、肉親に似た感情で手放せなかったし、相性の良さと気分的良い感情で接している。

子育ても終盤に近くなった頃、学校のPTAの役員をしていた彼女は初めて外の世界の人間関係や、子供が大きくなるに連れての夫婦間の出来事や、母で有り妻である自分を持て余しているようだった。私の生活は明けても暮れても一人の気ままな暮らしであるのに生活の中味は気学中心で話の中にはいつも気学が入り込んでいたのである。彼女は自分の生活の中に気学を取り入れて家族とは柔軟に問題解決を気学でやるので教えて欲しい。と入門したのであった。感性も豊かで想像力も豊かでその上子育てで鍛えられている精神力は正しく大地の母のような、私から見れば素晴らしい娘であった。情報通で彼女に物を訪ねて知らないよ・等と返事が来た事は一度も無い。やがて口伝での講座もテキストのカリキュラムも総て終えてお客様に対面することになったのであるが、堂々とした仕事ぶりには目を見張ったアドバイスが光る。女性に圧倒的な人気を得ている主婦の悩みや子育中の母達には力強い。

こんな彼女だったが私にも気学にもどっぷりは浸からない。あくまでも自分の立ち位置は家族の中の太陽の存在だと言うことを熟知して居た。どんなに忙しい仕事でも、優先順位を決して壊さなかった。あくまでもマイペースで家族が一番なのである。余計な事も話さず自分の与えられた枠の中で自分流を作り上げた20年である。30代から少しずつ積み上げてきた物はやはり大きく華が咲く準備が出来ているようだ。私の目から見ていても細身の彼女がズッシリとした重みと内面の蓄積した物が光り出して来ている。
 


そういえば40代の中頃だったかお勉強が終わりいよいよ対面鑑定が出来るようになった頃であった。フォーチュン名が必要だ。なんて名前にするの?と聞いた私に先生の名前から一文字下さい。と言った。マダム晶子の(晶)の字を使い(美晶)と名付けた。私から文字を取った者は一人も居ない。彼女だけである大勢の人に教えてきたが、ただひとり20年も私の元にいてどこを切り取っても気学が飛び出す生活を共にして来た。かけがえのない人である。時には運転をして、時には家のスタッフ、時には有能な秘書さん、おデブの私の着る服は彼女お手製のオートクチュールだ。誰にも負け無いほどの仕事ぶりである。何から何まで毎日彼女がいないと何がどこに有るのかも分からない。

近所の人は何時も笑顔の娘さんは今日来ないのですか?等と聞いてくる。
そんな娘に私は歳のせを前に手を合わせている。

 
 


 
 

2021年12月1日


アロハ・マカニ先生のこと

 

新宿のヒルトンホテルの喫茶室で会った日は2019年の夏の終わり頃であった。大きな鞄のカートを引きながら汗をふき笑顔を見せた。手には私の名刺を握りしめていた。そして10年前に戴いてその日から時間とお金が出来たら、仕事をセーブして必ず(占い)のお勉強をしたいと思い続けていたと、一気に話した。握りしめていた名刺を見せて貰うと、確かに私の名刺だ。その名刺は(成さん)が作成して、裏に鳳凰の絵が有った。薄紫の綺麗な鳳凰は羽ばたいているように見える絵であった。

その頃はイベントや講演会が多くて、終了間際にこの鳳凰入りの名刺を参加者に席と席の間を練り歩き乍ら配った。
あれからもう10年もの歳月が流れていたのかと、感慨深いものが有り当時の大変さと懐かしさと、この名刺を使うように勧めた(成さん)を思ったりしたものであった。
 

色々と話を済ませてお勉強をすることにして分かれたがその後、音信が途絶えてしまいもうやらないのだなと私も少々がっかりして日々を過ごしていた。その事をすっかり忘れて居た頃電話があり勉強を始めたいと言った。私はもうコロナの事もあり自粛生活をしているのでと、断ってみたもののなぜだか気になって仕方が無かった。
今年の夏やはり暑いさなかに先ずはアロハカードからのお勉強を続けて修練の日々だった。対面試験とペーパーの試験も合格した。私も非常に嬉しかった。あれっきりと思っていた人は10年も名刺を握りしめている位だから簡単には諦めない。とそうは思っていたが諸々の彼女の事情までは立ち入る事は避けた。

いつしか1年も経てばもうお勉強はしないと思ったがやはり一途な望みを捨てなかった彼女の素晴らしさに心地よい風が吹いていたように思う。合格したら今度はお仕事用のフォーチュン名だ。爽やかな人を幸せにする風を吹かせる事の出来る彼女には風の名前を付けたいと私は念じていた。アロハカードの中には(緑の風)のカードがある。私はこの名前でどうか?と問うてみた。一日考えて返事をすることになった。

家に戻りご主人に相談したら直ぐにOKが出たそうです。そして名前だけでは無くて名字もあった方が良いと言うことに成り、アロハカードの(風)は(アロハ・マカニ)という名前になりました。 占いから申しますとマカニさんの色は(緑)なのです。アロハカードの意味は緑の風が吹くと言う意味です。マカニさんに一度カードでアロハ占いをやって貰ってみませんか?
きっと緑の幸せの風を吹かせてくれますよ

 
 


 
 

2021年11月24日

 


一雨降る毎に寒さが身に沁みるように成ってきた、 我が家の敷地も公園の中のあるビルなので、ケヤキの葉が毎日落ち始めていてサラサラ音がしている 。
絵に描くような秋の風情ではあるのだが、風が吹くと一気に舞い上がりベランダにまで届き、翌朝はお掃除で大変である。

そんな中冬本番の裸木の状態がもうすぐだ。年を重ねてきたせいか季節と同等の年齢、故か私はこの頃は凜とした空気が張り詰めた寒い感じも好になっている。私のリビングでは毎年その頃になるとリンゴの皮をサーバーに入れて、その中にレモンを輪切りに入れて(ポタポタ)落ちてくるお湯の音を聞きながら、暖かい~い空気が流れて行く充実感を味わってきた。
 

古いマフラーやセーターを、解いては小さな襟巻きを縁ある人に編んでいた。毎年クリスマスに届ける為だあげる人に、色や毛糸を選んでは、送り主の子供達の顔を思い浮かべて、時間が過ぎるのも忘れて編んでいる。静かで音もしない、夜の静寂は編み物をしながら、色々な事を思い出したり年明けの想像してみたりして、過ごしてきたささやかな冬の恒例たったのだ。
上手では無い私の手編みの物や小物などよりもこの頃は、安価で求める良い品が出回っている。

今年は押し売り的にあげる事を控えなくてはと思い乍ら編み物ではなくて
静かな寒い夜を本でも読もうかなんて思ってみたりしている

 
 


 
 

2021年11月9日

 

夕べから降り出した雨は、午後になってもまだ降り続いている。 微かに光が差しているようにも思えるのだが、全然弱まらずに嫌になる。 太陽の動きの変化で、気候変動は世界中の民を困らせてばかりだ。 そんな中、私は昔ながらの食にこだわり、この1年は免疫効果のある料理や保存食を沢山作った。 材料は猫の額ほどの我が家のベランダ野菜や近隣の農家から求めている。



11月になって大根が大量に出始めた。
水々しい大根を次々買い込んで、葉ごとベランダの竿竹に吊るして干した。
さあ、11月は沢庵作りだ!

周りの友人やスタッフ達は、一人暮らしで、そんなに樽付なんて誰が食べるのよ・・・
と心配してくれるが、1本2本じゃ味が出来ない!
美味しくな〜れと言って作っている事が私が生きている証だ。
後でおいしかったと皆に言わせたいと力んでいる私です。
 
 

 
 

2021年11月2日


11月の展望

 

今月は誰もがセオリー通りで過ごすことになります。総選挙も終わり、コロナの発生件数も一桁台になってきた。選挙やらハロウインや、はたまた気温の差で、私たちの日常は目まぐるしく動くことになり何だか仕事もして居ないのに、この頃はひどく凄く忙しい。今後の日本はあらゆる分野で仕組みがガラリと変わる、その手始めが「コロナ禍」でした。世界中がいろんな意味で仕組みを変えているのです。
時代は180年単位で様変わりをしている。現代に活きる私達には想像も出来ない事が変化を余儀なくされます。人の眼に解らないように、ズシズシと波はやってきます。

 

 

 

 


コロナの次は、「経済」「災害」「地震」と矢継ぎ早に起こるでしょう。
一人でも多くの人が「おかしいぞ・」という危機感を持って貰いたいと節に思うのである。

非常事態宣言が解除になった途端に、渋谷では大勢の人の波があるとニュースで流れた。 酒をのみ開放感に浸っている姿からは危機感なんてほど遠い、何かが起きてからではもう遅い。 自分事も大事に、そして何が起きても備えだけは十分で有りたいと思うばかりである。
 
 

 
 

2021年9月7日( 節変わり)

ソロソロかなぁ、またブログ始めます。


雨の後、一気に秋の気配がしてくる。
長い事ご無沙汰いたしました。
休憩も休業も、もうとことんしたし身体も鈍ってきたし、ソロソロかなぁ。
またブログ始めます。
ご支援ブログへのご訪問宜しくお願い致します。


思えば2年にもなりますよね。
コロナがやって来て、自粛とか、緊急事態宣言で、やむを得ず受け入れた。
長い事働き尽くめだったから丁度休みだ。と仕事を休憩し、又休業した。
しかし毎日毎日、家にいることは苦痛以外に他ならない。
外へ行けば、マスク、マスク消毒、消毒液等と巷も大騒ぎで、中々外へ出られなかった。

そうこうする内にベランダの鉢植えが茫々と
茂っているのを見てやることないから、手を出して、ハーブの草花を摘んでは、
消毒液を防虫除けを作ることにした。
 

慣れない事とはいえ、手間暇かかる分、時を忘れて夢中になった。 コロナは全く終息の様子もなく、どんどんふんずりかえり、でかい態度で、 私達を脅かしている。仕方ないので、家での仕事を次々と思い出してはやっていた。 洋服の断捨離・台所の断捨離・事務所の整理と次々と今年の夏まで続く。
そんな中、梅仕事や味噌作りやら、あれこれと本当に手のかかる事ばかりで日が暮れた。

振り返ると悪い事ばかりではなかったなぁと思っている。 仕事はどうやら、電脳を使っての仕事になる気配。 zoomもリモートでの仕事も、デスタスとかも、私は苦手だ。 しかし、その準備をしながら、思うのである。 やはりライブが好きだし、目と目を見て 身振り手振りで、本気に運気の底上げをしていたい。

そんな事もう無理なのかなあ。
何ともやるせない日々です。